聖少女風流記
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第一話 いくさ人と救世主 


大天使ミカエルの啓示から全てが始まったといわれている。 
初めてその大天使の「声」を聞いたのは1424年。彼女がまだ、13歳の頃である。 
小さな村の、教養もなければ武力もない少女に、その偉大なる啓示が下された。 
神々しい声だったという。 
透き通った神聖さと、重厚な威厳を感じさせるような、脳内に駆ける稲妻のような啓示。 
それは度々彼女の脳裏に閃めいた。まるで彼女の短い人生を弄ぶかのように。 
そしてやがて、彼女は民衆から救世主と呼ばれる事となる。フランスの運命と共に。 

その啓示の第一声はこうであった。 
「男装し、武器を取り、そしてフランスを救いなさい」 

舞台は中世のフランス。腐乱と荒廃、無秩序な戦争の時代。 
「百年戦争」と呼ばれるフランスとイングランドの闘争が、民衆から安眠と安全と安寧を 
奪っていた時代。暗黒と暴力が満ちていた時代の話である。 

舞台は一度、日本に移る。 



合戦場が2つに割れていた。 

たった一騎の真黒い巨馬と、それを駆る大柄な武士の「一騎駆け」の為である。 
巨大な朱槍をまるで小枝のように軽々と振り回しながら、悪鬼羅刹の騎馬が行く。 
その騎馬の周りでぶうん、と風が唸るたびに敵兵の首が飛び、頭蓋が割れていく。 
「ヒイイ、化けモンだ……。あれが前田 慶次と愛馬の松風か」 

悪鬼が地獄の馬に乗り血の雨を流す。 
敵のみならず、味方からもそう恐れられる天下一の傾奇者・前田 慶次と松風が 
敵将目指して一直線に駆けていく。 
それは喩えるならば死の壁だ。当たれば即座に死ぬ。 
故に、皆が避けようとし、結果、慶次の前には無人の野が出来ていく。 
「つまらんなあ。いくさなんてのは、今死ぬかも知れんから楽しいのに」 

慶次の前に敵将の顔が近付いて来た。大将首である。 
一騎駆けの後の大将首、手柄は甚大である。が、彼にそれは興味がない。 
ただ滾る血のままに、戦場の男として生きて死ぬだけの事である。 
朱槍が敵将目掛けて風を斬る。必殺の間合いからの獣張りの速度の一撃。 

その時である。 
目の前に光のモヤが現れた。フッと慶次の周りの景色が消失した。 
慶次はそのモヤに包まれて、やがて意識が途切れた。 

目を覚ました。一体どの位、意識を失っていたのかは分からない。 
ゆっくりと油断なく辺りを見回すと、すぐその行為が無駄と分かった。 
視界全てが闇に支配され、しかもそれが無限に続いていたのだ。 
ブルル、という鼻息が近くで聞こえた。どうやら相棒もここにいるらしい。 

「こりゃあ、死んだのかね、松風」 
どっかりと腰を下ろして、松風の鬣を撫ぜながらそう言った。 
だがその声色に全く悲壮感はない。慶次という人間は常にそうなのである。 
成ってしまった事は成ってしまった事で、仕方が無いではないか……。 

懐から扇子を取り出し、胡坐のままぱたぱたと仰いだ。 
その暢気な様子はとてもこの異常事態の最中にいるとは思えない。 
「まあ、俺が極楽に行けるとも思ってないが、なんとも退屈な所だなあ。 
 これなら地獄に堕ちて鬼や閻魔と一戦交える方が面白いな」 
無邪気にそう言って大笑した。 
漆黒の闇の中に、慶次の笑い声と松風の鼻息が溶けていく。 

慶次の立ち居振る舞いは、現世と全く変わらなかった。 
この男に、現世や来世という考えは元々無い。 
生きるだけ生きたら、後は死ぬだけの事だ。それはどの世でも変わらない。 
しかし、それでも、これだけは我慢出来なかった。 
「ああ、この辛気臭い退屈は耐えられんな」 
松風が同意するようにいなないた、その時。脳裏に「声」が閃いた。 
直後、目の前にあの光のモヤが姿を見せる。「声」は言った。 

『この地においてなお、豪胆ですね。前田 慶次朗利益殿』 

慶次は不意のその声にも緊張感が無い。が、一切の油断も無い。 
「ほう、こんな真っ暗な場所に高貴な御声ですな。どうですか、一杯」 
慶次は隠し持っていた瓢箪に吸い付き、酒で喉を潤した後、 
それを大らかに光のモヤに差し出す。「声」が響く。 

『あなたはこの状況においてもなお泰然としていますね』 
「焦ってもどうにもならない事はどうにもなりませんからな」 
光のモヤが酒を受け取らないのを見て、瓢箪に口を付けながら言った。 
「で、ここはどこなんです? 地獄とやらですか」 
言葉の内容とは裏腹の穏やかな声でのんびりと聞く。「声」が応える。 
『地獄ではありません。ここは時間と空間の異なる人知及ばぬ場所。 
 あなたに、お願いがあってここに呼びました』 
「ほう、人知及ばぬ場所。ではあなたは、菩薩ですかな」 
慶次は変わらぬ態度のままのんびりと聞く。そしてこう言って笑った。 

ここが地獄で無いとは残念だ。一度、鬼と喧嘩をしてみたかった。 
それに閻魔の前で舞でも踊り、一献傾けて見たかったが、残念だ……。 

冗談で言っているのではなく真剣に残念がっている慶次を見て、 
「声」から笑いが漏れる。なんと愉快な男だ。この男なら、きっと……。 
『菩薩、ですか。そう呼ぶ人たちもいます。大天使と、呼ぶ方々も』 
「ほう、そうですか」 
差して驚く様子も無く、瓢箪を呷り続ける慶次。「声」は言った。 
「あなたに、異国の地にしばらく赴いて欲しいのです。 
 ……多くの命の運命を握る少女を、護る為に」 

異国の地。慶次はそれを聞き、少年のような顔になる。 
心からうきうきして堪らないといった顔。思わず顔を緩ませながら聞いた。 
「ほう、異国ですか。それは面白そうだ。知らぬ土地で美味い酒を呑み、 
 友を見つけ、恋でも出来ればこれに勝る事は無い。その国はどこです? 
 朝鮮、南蛮、蝦夷……?」 
『危険ですよ。命を、落としかねないほどに』 

玩具を貰った子供のようにはしゃぐ慶次。 
この、辛気臭い場所でこのまま朽ちるよりどれほど異国の地が楽しいか。 
命を落とす? 結構なことである。是非殺して欲しいものだ。 
命懸けのいくさを、まだ見ぬ土地でする事が出来る。これ以上楽しい事があるか。 

『本当に、生粋のいくさ人なのですね、あなたは。願った通りの方です』 
「それで、私の行く場所は何処なのですか。そしてその護るべき方とは」 
『場所は、あなたのいる時代より、約200年前のフランスという国。
 そして運命の神子の名は……。行けば、分かります』 
「声」が朧になった。意識が混濁していく。浮遊感に溶けていく中、「声」が言った。 
『気を付けて下さい。私があなたを選んだように、闇もまた歴史から選ぶはず。 
 神子を殺す為のつわものを。神子を、どうか…』 

意識が再度目覚めた。慶次は光の眩しさを感じた。しっかりとした大地が足元にある。 
次の瞬間、息を呑んだ。目の前の光景にである。 
目の前に、小柄な少女が祈りを捧げているのだ。年の頃は17、8というところだろう。 
見たことも無い艶やかな金髪と蒼い瞳が、自分と違う人種という事を感じさせた。 
だが、人種云々なので慶次は驚いたりしない。驚いたのは、少女から神々しさ。 

慶次に少女が気付いた。微笑みかけてくる。微笑だけみれば年相応の田舎娘だ。 
だがすぐにわかった。この少女こそが、菩薩が言った護るべき神子。 
慶次も少年のような無垢な顔で微笑んで言った。不思議と言葉が通じる。 
「どうやら、あなたに会う為に私はこの地へ来たようですな。名はなんと申される?」 
少女ははにかみながら、だが毅然とした態度で言った。 
「ジャンヌ。 ……ジャンヌ・ダルク」 



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